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『剣』(けん)は、三島由紀夫の短編小説。大学の剣道部での人間模様を描いた小説である。清らかな微笑をたたえ、「剣」の道に全霊を傾け、極みを追い求める若い主将が、一部の部員の些細な裏切りによって諌死するまでが描かれ〔、その結末にもかかわらず、「一種澄妙な透徹感」が全体をつらぬき、無駄なく明瞭な描写力の備わった作品となっている〔佐伯彰一「解説」(文庫版『剣』)(講談社文庫、1971年)〕。 1963年(昭和38年)、文芸雑誌『新潮』10月号に掲載され、同年12月10日に講談社より単行本刊行された。文庫版は講談社文芸文庫より『中世・剣』が刊行されている。翻訳版は1989年(平成元年)にジョン・ベスター訳(英題:Sword)でなされている。 1964年(昭和39年)3月14日に、市川雷蔵の主演により映画化された。 == 主題 == 三島由紀夫は、1963年(昭和38年)2月に、評論『林房雄論』を発表するが、同年に発表された他の作品と関連し、「僕の考えを批評の形で出したのが『林房雄諭』だし、小説にしたのが『午後の曳航』や『剣』で、『喜びの琴』はその戯曲といふことになります」と述べている〔三島由紀夫「三島由紀夫インタビュー」(週刊読書人 1963年12月2日号に掲載)〕〔佐藤秀明『日本の作家100人 三島由紀夫』(勉誠出版、2006年)〕。 『林房雄諭』には、「マルクス主義」も、明治維新の「攘夷論」も同じ「心情」から出た「思想」であるという三島の考察があり〔三島由紀夫『林房雄論』(新潮 1963年2月号に掲載)。『林房雄論』(新潮社、1963年)、『作家論』(中央公論社、1970年。中公文庫、1974年)に所収。〕〔、三島はそれを、「その志、その“大義”への挺身こそ、もともと、“青年”のなかの攘夷論と同じ、もつとも古くもつとも暗く、かつ無意識的に革新的であるところの、本質的原初的な“日本人のこころ”」としている〔。 そして『林房雄諭』の中で述べていた一句は、『剣』の主題との関連で、1968年(昭和43年)1月の円谷幸吉の自殺に際しても、次のような一節の中で繰り返し言及されている。 佐藤秀明は、この三島が到達した思考や、その「主題」について、「“思想”と“心情”のドラマ」、「“心情”の純粋な極致」だとし〔、松本徹は、「“思想”、イデオロギーを越えた“心情”に類のない意義」を見出しているとしている〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「剣 (小説)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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